※音が出るのでご注意ください
【1.事件の概要】
布川事件とは、1967(昭和42)年8月30日に茨城県の布川町で発生した強盗殺人事件です。 現場の状況は、8月30日の朝、男性が両足をタオルとワイシャツで緊縛され、口には、下着が押し込まれた上、首にも下着が巻き付けられて窒息死していました。 家の戸は、勝手口がわずかに開いているだけでした。室内では、ガラス戸が倒れてガラス片が散乱し、遺体があった床は、被害者との乱闘をうかがわせるように床板がへこんでいました。 また、寝具、衣類などが散乱、机の上も乱れ、引き出しが開け放しに物色されていました。さらに、被害者を解剖した結果、死亡推定時刻は、8月28日の午後7時から11時頃とのことでした。 その後、警察によって指紋検出活動が行われ、犯行現場から、被害者や被害者の家族の指紋は多く出てきましたが、犯人の指紋は出てきませんでした。
※ 写真はイメージです。
【2.桜井昌司さんと杉山卓男さんの逮捕】
事件から40日が過ぎた頃、警察の地取り捜査(区域を定めて情報等の聞き込みをすること)を行いました。前科者、素行不良者、被害者から多額の借金をしていた者など約180名に対して捜査が行われましたが、犯人の決め手がありませんでした。 そして、アリバイがなく、犯人の可能性が最後まで残った桜井昌司さん(当時20歳)と杉山卓男さん(当時21歳)に対し、捜査の焦点はむけられました。 その後、別事件の窃盗と暴力行為の容疑で逮捕し、間もなくこの事件の取り調べが始まりました。 2人は、この事件はやっていないと主張していましたが、激しい取り調べの末に自白をし、起訴されました。
※ 写真はイメージです。
【3.確定判決と証拠の内容】
1968(昭和43)年2月15日に水戸地裁土浦支部において第一審が開かれました。 2人の自白によれば、8月28日午後6時30分頃、常磐線我孫子駅でたまたま出会って、 成田線に乗って布川駅で下車、徒歩で栄橋まで来たところで、競輪の資金を調達するために知り合いであった被害者に金を借りに行きました。 被害者の家を訪れて、借金を頼み込みましたが、激しい言動で拒絶されたため、強盗を共謀して、午後9時ごろ被害者宅8畳間において2人が被害者をやく殺(手で首を絞めて殺害すること)し、桜井さんが同室内の下段ロッカーから7,000円を、杉山さんが同室内押入れの中から現金10万円をそれぞれ強取したとされました。 その後、誰か知らない人が入ったように偽装するために、2人で8畳間と4畳間のガラス戸を2枚とも外し(その際ガラスが数枚割れたとされ)、午後9時53分布佐駅発の成田線に乗って、 東京都中野区に逃げ帰った、とされています。 そして、公判中に2人の指紋が犯行現場にないことが争点になりました。裁判所の見解は、次のように示しています。 「指紋、足跡等により犯人を特定することができないからといって、そのことだけで直ちに被告人らの犯行を否定するものではない」。 このようにして裁判所は弁護団の主張を退けて、2人の自白の信用性を肯定し、有罪の判決を下しました。 弁護団は、この判決に不服として東京高等裁判所を経て最高裁まで上告しましたが、いずれも棄却され、有罪が確定しました。
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【4.再審請求】
そして、布川事件は、日弁連人権擁護委員会の認定を受け、1983(昭和58)年12月23日に水戸地裁土浦支部に再審請求を申し立てましたが、その請求は棄却されました。 その後、東京高等裁判所と最高裁判所にも再審請求をしましたが棄却されて1回目の再審請求は終了しました。 そこで2人は、すぐに2回目の再審請求の準備を始めました。 また、この頃2人は、29年間の服役の末、1996(平成8)年11月に仮釈放となりました。この釈放を受けて2人は、精力的に再審請求活動を展開していきます。
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【5.布川事件の指紋採取実験とその環境】
布川事件で2人は、素手で犯行しているにもかかわらず現場から指紋が発見されませんでした。 弁護団は、ここに不自然さを感じて、警察庁OBの元指紋鑑定官に依頼して指紋の検出実験を大々的に行いました。 事件当日は、午前9時の気温27℃、最高気温31℃、最低気温24℃、平均気温27.5℃、24時間降雨量0㎜、雲量10割(全天雲)、天候くもりでした。 さらに犯行現場にエアコンがないことを考えると室内は28℃から29℃前後はあったと思われます。 この状況を基にして、弁護団が乱闘を伴った殺害現場の模擬実験を行い、その現場から指紋検出をすると11個もの指紋が検出されました。 また、これらの実験は、警察庁OBの指紋鑑定官による指揮のもとに行われていましたが、その方が病気で亡くなってしまい、そこで、当鑑定所に依頼があり、再度、実験を行うこととなりました。
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【6.犯行方法と現場状況との矛盾】
裁判資料を読み進めるうちに、自白と現場の写真で矛盾があることに気が付きました。 自白によると机の上にあった財布の中を物色しているとありましたが、現場の写真を見ると、財布の上に石鹸の箱や腕時計の空き箱などが4個載っていました。 財布からお金をとった後に、その上に石鹸箱などをわざわざ4個を載せるのは不自然であることから、始めから財布を物色していなかったのではないかと気がつきました。 これらの事を鑑定書にまとめて、弁護団に提出しました。
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【7.再審開始請求の判断】
当研究所の鑑定書を提出し、2005(平成17)年9月21日水戸地裁土浦支部は、再審開始を決定しました。 その後、検察官は、水戸地裁土浦支部の再審開始決定を不服として東京高裁に即時抗告しましたが、東京高裁第4刑事部は、2008(平成20)年7月14日、検察官の即時抗告を棄却し、再審開始を維持しました。 さらに、検察官は東京高等裁判所の決定に不服として、最高裁判所に特別抗告をしました。 しかし、2009(平成21)年12月14日、最高裁第2小法廷は、裁判官4名の全員一致で検察官の特別抗告を棄却し、即日再審開始が確定しました。
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【8.水戸地裁土浦支部の再審公判】
再審公判は、2010(平成22)年7月に水戸地裁土浦支部で始まりました。 そして、桜井さんと杉山さんと弁護団は、冤罪と44年間戦い、民注視の中、2011(平成23)年5月24日に無罪となりました。
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