鑑定事例

少年の窃盗えん罪事件

※音が出るのでご注意ください

【1.事件の概要】

2000(平成12)年3月25日に、埼玉県郊外の建設会社の事務所のドアがこじ開けられ、パソコンやプリンターなど5点(時価43万円相当)が盗まれました。

建設会社から被害届け出を受けた警察は、直ちに、鑑識係、刑事課員が現場に急行して証拠資料の採取活動や実況見分、写真撮影などを行いました。
すると、鑑識係が事務所の入り口ドアの外側から指紋1個を採取しました。

※ 写真はイメージです。

【2.犯人の割り出し】

早速、現場から採取した指紋と警察に登録されている前科者の指紋を照合すると、神奈川県に住む少年の指紋と一致しました。少年は、以前にバイクを盗んだ疑いで検挙された際、指紋が登録されていたのです。

※ 写真はイメージです。

【3.少年の逮捕と取調べ】

警察署では、早速、建設現場の責任者にその少年が正当な理由(郵便配達員や友人、知人など)で現場出入りしているかどうかの確認をとると、犯行現場に正当な理由で出入りしたことはない、ということでした。

つまり、犯行現場に少年の指紋が付くはずがないところ、外側ドアから指紋が採取されたので、警察としては、窃盗をしたときの指紋であると判断しました。
その後、警察は、少年の逮捕令状と自宅の捜索差押許可令状を持って、少年の逮捕に向かいました。
警察は、少年に対して神奈川県の自宅から埼玉県の入間署まで同行を求め、警察車両で埼玉県の所轄署に直行しました。

少年は、警察の取り調べに対し、最初は罪を否認していました。
しかし、指紋が合致している鑑定書を突きつけられて、逃れるすべがなく、早く取調室から出たいとの思いから、
取調官に対し、「自分がやりました」と自白しました。

その4日後に母親が面会にやってきました。その時に少年は「本当はやってないんだ」と打ち明けました。
すると、母親は「やっていないならはっきり言いなさい」と叱責して、少年は検察官に
「自白は、全部うそです」と否認をしたのでした。
だが、ときは既に遅し、一度自白をするといくら後に否定しても、誰にも信用などしてもらえませんでした。

※ 写真はイメージです。

【4.一審有罪判決】

その後、家庭裁判所に移送された少年は、鑑別所に移管されて、少年審判が開始されました。
少年は罪を否認していましたが、家庭裁判所の判決は保護観察の処分でした。これを成人に例えれば、さしずめ執行猶予付の有罪判決といったところです。

これに対して少年と弁護人は、保護観察処分を不服として東京高等裁判所に控訴しました。

※ 写真はイメージです。

【5.鑑定依頼と証拠品撮影】

当研究所に鑑定依頼が来たのは、このときでした。依頼弁護人と当研究所の接点は、約1年前に送付したダイレクトメールがきっかけでした。

弁護人から電話による鑑定依頼の後、数日して弁護士事務所から書留で警察が作成した指紋鑑定書のコピーが届きました。

指紋鑑定書には現場指紋と少年の指紋が一致すると書かれ、その写真まで付けられていました。しかし、指紋の写真をよく見ると、指紋線の流れる方向がどうも一致しないので、もしかして、この指紋は一致しないのではないかと思いました。

そこで、事の重大性からして鑑定書の原本を見て判断することにしました。このとき、原本は、東京高裁にあったので、早速弁護人に「原本を見てからでないと最終判断は出せない。
しかし、どうも一致しなさそうです」と回答しました。

数日後、依頼弁護人は、東京高裁で資料閲覧の許可を取得したので、資料閲覧室に向かいました。
後日、詳細に検討するため、持参したカメラで写真を余すことなく撮影してきました。

同じ日に、少年本人の指紋を確認したかったので、本人を東京に呼んでもらいました。
早速、本人の指紋を確認すると、現場指紋と少年の指紋に決定的な違いとなる相異点をいくつか発見しました。

早速、これらの相異点を鑑定書にまとめて弁護人に提出しました。その後、鑑定書は弁護人から東京高裁に提出されました。

※ 写真はイメージです。

【6.東京高裁の決定】

鑑定書の提出を受けた東京高裁は、自白と警察の指紋合致鑑定書には、「重大な事実誤認がある」として、原決定を取消し、一審の横浜家裁川崎支部に差戻しの決定をしました。
つまり、1審のやり直しです。

この決定は、鑑定書を証拠としてから、たったの8日間で出されたので、担当弁護人から連絡をもらった時は、さすがに驚きました。
また、この異例の早さは、裁判所も警察の指紋鑑定に疑問を持っていたのではないかと思いました。

このとき、埼玉県警察本部は、指紋鑑定のミスから18歳少年を誤認逮捕したという記者会見をしました。さらに、所轄警察署長はその前夜、少年の両親へ謝罪の電話を入れたということでした。
私の方には、知人の新聞記者から夕方6時のNHKニュースで流れているという電話があり、その翌日に新聞各紙は非常に珍しい事態だと言うことで一斉に報道していました。

2001年2月1日、横浜家裁川崎支部で不処分(成人でいう無罪の意味)の最終決定が出され、少年は晴れて無実が認められました。


※ 写真はイメージです。

【7.少年のお礼】

無罪判決を受けたその日の夜、一言お礼が言いたかったとのことで、少年からお礼の電話がありました。
少年は、恥ずかしかったのか、ボソボソっと「ありがとうございました」と言っていました。

その言葉に我々は、うれしくなり、また、少年は無実の罪で逮捕されたのにもかかわらず、心がひねくれている様子でもなかったため安心しました。

※ 写真はイメージです。